1人1人の考えを尊重する

昨日は大阪や京都の私立高校の入試日でした。

今日、2日目の試験があるという高校もあるでしょう。

受験生は大変な疲れだと思いますが、ゆっくり休んでほしいものです。

 

一人ひとり、いろいろな考えのもとさまざまな高校を受験します。

僕は、できるだけその子の考えを尊重したいと常々思っています。

進路指導でも、受ける高校を押し付けたくはありません。

ご家庭で十分話し合われて決めた進路を最大限尊重したいと思っています。

 

小学校高学年や中学生にもなると、大人から見て「この子は何を考えているのかわからない」となることがあります。

たくさんの生徒と接してきた僕も、わからなくなります。

ただ、紐解いてみると、子どもには子どもの考えがあることがわかります。

何も考えていない子はいません。

それをうまく表現する術を知らないだけかもしれません。

 

昔、教えていた子の親御さんから「塾に行きたがらない」と相談を受けることがありました。

その子と2人で話をしました。

「なんで行きたくないの?」と聞いても、「いや・・・」と言って苦しそうな表情を浮かべるだけで、YesもNoも言わない。

「ほんとに行きたくないの?」と聞いても、「なんていうか・・・」と唸るように言うだけで、YesもNoも言わない。

彼は、自分の考えを表現するための言葉を持っていませんでした。

うまく彼の気持ちに合う言葉を投げかけて、様子を見る。

時にはそんなやり取りも、小中学生には必要です。

そして親御さんに、彼ら彼女らの考えを伝えます。

 

三者懇談で黙り続ける子がいます。

それを決して悪いことだとは思いません。

環境を変えれば話すこともありますし、「黙る」ことがメッセージの可能性もあります。

またそもそも大人と子どもの共通認識が異なる場合もあります。

アメリカ人と日本人では、当然文化が異なり、共通認識が異なります。

それと同じようなことが、大人と子どもでもあるのではないかと思います。

 

1人1人が違って当然。

1人1人が尊重されるべき。

1人1人に寄り添い、その言葉を受け取り、親御様に伝える。

翻訳者のような仕事も、僕たちの仕事の1つなのかも、と思います。