僕ニシボリは、小6のとき中学受験をしました。
初めての塾通いは小学3年生の夏期講習だったかな。
今の中学受験に比べると、そんなに厳しくないものでしたが、当時はかなりスパルタな塾に通っていました。
また僕の親も中学受験に熱を入れていました。
常に勉強しているか監視されたり、ノートをきちんと書いているかチェックされたり。
そして、
宿題ができていなければ、怒鳴り散らされ、
小テストができていなければ、怒鳴り散らされ、
忘れ物をすれば、怒鳴り散らされ・・・
塾の先生または親のいずれか(ほとんどは親)に、粗を見つけられては怒鳴り散らされる日々。
授業を受けるのは楽しかったですが、「怒鳴り散らされる」のはつらかった(笑)
当時は大人が鬼の形相でこちらを見ると、それだけでドキドキしたものです。
一番怒られたのは宿題関係です。
宿題を済ませればいいだけの話なのですが…
当時の僕は、特に算数が苦手でした。
計算ミスも多く、そのことで親にどやされたこともあります。
中学受験のための問題集は全く解けず、解説を読んでも理解不能・・・
でも宿題ができていなければ怒鳴り散らされる。
あまりに間違いが多くても、どやされる。
その結果、僕がとった手段は「答えを写す」です。
親が「ちゃんと勉強しているか」と見張っていましたので、
親がこちらを見ていない隙を探しては、答えのページを開き、答えをそのまま書き写す。
しかし親は「なぜ算数のできない僕が全問正解しているのか」を問い詰め、答えを写していることはすぐにバレました。
次に、適度に間違いながら、答えを写すようになりました。
ですが、「筆算のあとも計算のあとも残っていない」ことから問い詰められ、またもバレました。
少しずつ答えの写し方がムダに巧妙になっていきました(笑)
今ではえらそうに授業をしている僕ですが、当時は本当にダメ少年だったんですね(笑)
ただ、こういう経験があるからか、「答えを写しているかどうか」の嗅覚は非常に鋭いと思います。
ノートを見ていれば、だいたいわかります。
また、何となくそういうことをしてしまう子の気持ちもわかります。
勉強がめんどくさい。
それもあります。
間違いばかりをピックアップされ、指摘され続けられることがつらい。
こういうケースもあります。
それを指摘する大人の態度が威圧的で怖い。
怖い思いを回避したい。
こういう場合もあります。
全部マルにして褒められたい。
少し歪んだ承認欲求ですが、これもあります。
その子がそういう行動に至るまでに、理由がまったくないことなどありません。
必ず背景に何かがあります。
場合によっては、大人がその原因をつくってしまっていることもあります。
一つ一つの事象の背景、裏側に迫らずに、真の意味でその子と向き合うことはできません。
ただやみくもに「答えを写した事実」だけをとらえて怒鳴るのが指導ではないと、僕は思っています。
その根本にある部分にできるだけ向き合いたいと、そう思います。
すぐ解決できるは限らず、年数や生徒の精神年齢の上昇などを要することもあります。
声をかけて、かけて、かけ続けて、1ミリ程度しか解決に近づけないこともあります。
でも、僕が諦めてしまえばそれでおしまい。
だから、誰よりも諦めない大人でありたいなと、そう思っています。
ウザがられても、嫌われても。
そんなことを改めて実感した、連休でした。