保護者様からいただいているもの

先日、同業の方と「授業料」の話になりました。

話の流れは割愛しますが、その話の最中ずっと自分の中で考えていたことがありました。

「果たしていただいているのはお金だけなのだろうか?」と。

 

お金よりももっと重いものをいただいている感覚が僕にはありました。

(お金も大切です)

それは「親御さんがお子様と過ごす時間」です。

 

僕も子どもがいます。

子どもというのは指数関数的に成長していって、ちょっとよそ見した隙に姿が変わっていきます。

 

生まれたときは3kgに満たなかった子が、着られる服や靴を買い足さなければいけなくなり、

よちよち歩きしかできなかった子が、公園を大人も追いつけないほどの全速力で駆け回るようになり、

弱弱しい力で指を握るしかできなかった子が、「マッサージしてあげる!」と強い力で肩をたたいてくれるようになり、

舌足らずな話し方しかできなかった子が、ポケモンの主題歌を歌詞も見ずに大声で歌うようになります。

 

特に、僕は仕事をしていて家族と過ごす時間が少ないがゆえに、余計思うのだと思います。

「あれ、いつからこんなんになったんだっけ?」

(たぶん見逃したことがたくさんあるんだろうな)

 

できることなら、子どもとの1分1秒をもっともっと噛み締めていたい。

一緒に公園に行ったり、旅行に行ったりしたい。

なんなら毎晩、他愛のない話をしながら晩御飯を一緒に食べ、一緒にお風呂に入り、一緒にベッドで眠りたい。

 

でもいつかは子どもは親の手を離れて社会へはばたくわけで、いつまでもヨシヨシし続けるわけにもいきません。

可愛い子には旅をさせよといいますが、子のためを思って、子との時間を削って、スポーツ教室やそろばん教室、公文や学研、そして塾へと行かせるわけです。

 

いただいているものはお金(それはそれで大切なもの)と、そして本来子どもと過ごすことのできた時間。

その時間だけは何があっても、返金はできません。

 

いただいたお金の分だけ働く、という考えもありますが、

いただいたお金だけでなく、「何ものにも代えられない時間」をも考慮すると、返すのが授業料分だけなんて中途半端では。

(そしてその”時間”には保護者様からの期待もあるわけで)

1000円払ってもらったから1000円のものを渡す、ではなく

もっともっと大きな形にしてお返ししたい。

そうしなければ意味がない。

それが僕の指導の根底にはあるのだと思います。

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